名古屋高等裁判所 昭和58年(ネ)140号 判決 1983年12月27日
控訴人(附帯被控訴人)
秋岡正子
右訴訟代理人
神田眞秋
被控訴人(附帯控訴人)
秋岡竹男
主文
本件控訴及び附帯控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は控訴人(附帯被控訴人)の、附帯控訴費用は被控訴人(附帯控訴人)の各負担とする。
事実
控訴人(附帯被控訴人。以下「控訴人」という。)は「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人(附帯控訴人。以下「被控訴人」という。)の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を、附帯控訴につき「本件附帯控訴を棄却する。附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を、附帯控訴として「原判決中被控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人と控訴人との間の長女秋岡リカ(昭和五五年三月二〇日生)の親権者を被控訴人と定める。附帯控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり付加訂正するほかは原判決事実摘示及び当審書証・証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
一 控訴人
1 控訴人と被控訴人との間には婚姻を継続し難い事由は存しない。すなわち、被控訴人は粗野で妻の立場を理解しようとしないため、控訴人は、被控訴人と老夫を失い病弱な母中川元子(以下「元子」という。)との間にあつて、被控訴人の余りに無謀な言動に元子の立場を思いやり、被控訴人に対し批判的な態度をとつたこともあつたが、両者の不和確執、相剋に苦悩しながらも夫婦関係の改善のため献身的な努力を続けて来たものである。被控訴人の横暴と理不尽な言動に思いを致すとき、控訴人の右のような批判的態度を把えて元子の依存的傾向とみることはできないというべきであるのみならず、被控訴人と元子との間の不和によつて直ちに控訴人・被控訴人間の婚姻関係が破綻に至つたものといえず、現に控訴人は長女リカを含めた家族三人の再出発を切望している。
2 仮に控訴人と被控訴人との婚姻関係に些かなりとも破綻が生じていたとしても、その責任は専ら被控訴人に帰せられるべきである。すなわち、控訴人と被控訴人との間の不和は常軌を逸した被控訴人の言動に起因するものであり、右言動は、すでに主張した以外にも枚挙にいとまがないが、その一端をあげれば次のとおりである。
(一) 被控訴人は、金銭感覚が異常で、結婚相談所の紹介で二人が知り合つたときも、「相談所に内緒で交際すれば紹介料の二〇万円を支払わなくてもすむ。自分が責任を持つ」などと言つて交際を求めてきた。婚姻後、賃借マンションに新居を構えたが、被控訴人は印鑑や預金通帳等貴重品らしきものを施錠付のスチール庫にしまい込み、控訴人に触れさせないのはもちろん、外出時には控訴人に見られまいとして、いつも施錠を点検する有様であつた。被控訴人は結婚前の約束にもかかわらず控訴人に給料袋も渡さず、また、「買物してきたものはレシートを見せろ、そしたら金は出す。」と言い出すなど、控訴人を家政婦か何かと取り違えているような発言を平気でした。
(二) 被控訴人には、大垣市に五人の姉(内四人が未婚)がいるが、控訴人やその家族がこれら姉に会うことを拒否し、ただの一度も会わせようとしなかつた。
他方、控訴人の父が病重篤で入院していたにもかかわらず、控訴人が看病に行くことをひどくきらい、ただの一度しか見舞うことができなかつたばかりか、その折も、被控訴人は「病人なんか見たくない」と平然と言つてのけ、病室に入ろうとせず、ついに父死亡まで一度も見舞おうとしなかつた。父死亡の昭和五一年六月六日にも、危篤の報に接して病院まで夫婦で駆けつけたにもかかわらず病院へ入ろうとせず、六月八日の葬儀の折も香典を出すことをしぶつたり、読経の最中「坐ると足が痛くてかなわん」「喪服は暑くてかなわん」とところかまわず不平を言い、葬儀が終るや一人で足早にマンションへ帰つてしまつた。
(三) 被控訴人が元子宅に同居するようになつてからも被控訴人の自分本位の我がままな生活は変らず、「一晩中クーラーをつけて寝る」と子供のようなことを言つて困らせたり、一階の元子の部屋に無断で入つて同人のタンスの引き出しを掻き回したりするなど、控訴人や元子を困惑させた。また、もともと元子宅での同居は被控訴人が望んできたにもかかわらず、「わしは引き込まれた、引き込まれた」を口癖にして元子を悲しませ、元子が新夫婦のためを思つて作つた別棟についても、「狭くて家具もろくに置けん」と礼よりも不平を言い、「わしは引き込まれた、引き込まれた」と言つて元子を怒らせ、かつ、悲しませた。
(四) 被控訴人は元子方母屋で同居しているときも、深夜までテレビをみ、夫の出勤のため毎朝六時には起床する控訴人が早く眠りたいと思つても、「お前は勝手に寝ろ」と怒鳴つて平気で大きな音でテレビをみており、また、前記別棟で生活するようになつてからは、夜遅くまでカラオケで歌つたり大きなボリュームでステレオをかけたり、一層自分本位の生活態度を昂ずるばかりであつた。
(五) 別棟で生活する中で、被控訴人はソファーをバリケードにして部屋にたて籠り、控訴人すら入れようとせず、何か隠れてこそこそする不審な行動が時としてあり、別棟に入る以前の母屋に同居していた期間にも、七畳洋間に鍵をかけて籠つたり、二階へ入るドアの鍵をかけて控訴人を来させないようにすることがあつた。控訴人が理由を尋ねても、「うるさい」「お前には関係ない」など怒鳴るばかりであつた。
(六) 被控訴人は、控訴人が長女を身ごもり妊娠中、つわりがひどく肉体的に苦しい思いをしていたにもかかわらず控訴人を思いやろうとすることはなく、出産が近づいて大きなお腹を抱えて食器類の後かたづけの最中、つまづいて転倒したときも、「アホか」と冷たく言い捨てるような有様であつた。また、出産後激しい腰痛のため立ち上つたりすることもままならぬ控訴人に、「飯ぐらい作れんのか、てめえ!」と暴言を吐いたりした。
(七) リカは、生後間もないころからアトビー性湿疹にかかり夜泣きが多かつたが、被控訴人は少しでもリカが泣くと怒鳴つてドアをドンドン叩き、「母屋の二階へ連れて行け」と大きな声で怒鳴つたり、また、同女が生後六ヶ月ぐらいのころ重度の肝臓障害を患い、肝硬変で死亡の危険もあるとの診断を受けたにもかかわらず、控訴人が看病と投薬とに専念しているのに、「ヤブ医者の言うことは信用できん」「肝臓にきく薬なんかあれせんわ」と吐き捨てるように言う始末で、子供に対する思いやり、愛情があるのか、不信の念を覚える状況であつた。他方、被控訴人自身は、ゴルフや釣・碁など自分の趣味に熱中し、リカが寝ているのに室の中でゴルフの練習をしたり、ステレオの音を上げたり自分勝手な行動を繰り返し、控訴人としてはやむなく病気の子供の安静を確保するため元子の母屋にリカのベットを移すこともした。
二 被控訴人
1 長女リカの親権者を被控訴人と指定すべきである。すなわち、子供の養育にとつて、その任にあたる者が社会的常識を有しかつ、経済的にも安定していることが必要であるところ、控訴人は虚言家でいまだに母親から自立できない性格であり、経済力にも乏しく、親権者としてリカを監護養育する資格はなく、また、控訴人と元子との家庭もリカの養育環境として不適当である。これまで、被控訴人がリカの養育に関与しなかつたのは、別棟のドアに施錠され、母屋えの出入りが物理的に不可能であつたことによるものである。
2 控訴人と被控訴人との間の婚姻は完全に破綻している。控訴人が母屋で元子と同居し、被控訴人と日常生活を共にしようとしなかつたことに徴しても、控訴人に被控訴人との婚姻を継続する意思のないことは明らかであり、当事者間には長期間にわたり空白状態が続いている。
3 婚姻破綻の原因は、控訴人及び元子の性格の悪性、社会的常識の欠如、狭量なことに起因するものである。控訴人が、被控訴人の異常な言動として摘示するところはすべて事実に反し、被控訴人の忍耐と寛容にも限度があり、被控訴人には些かの落度もない。
(一) 結婚相談所に対する紹介料は被控訴人において支払つており、「内緒で交際すれば支払わなくても済む」などと言つたことはない。また、被控訴人が自分の貴重品の入つているスチール庫に施錠するのは当然であり、給料袋は控訴人にそのまま渡していたし、控訴人に買物のレシートを見せるように言つたこともなく、むしろ、控訴人から家計の収支について知らされたことは一度もなかつた。
(二) 被控訴人は、控訴人や元子が被控訴人の姉と会うこと、あるいは控訴人の父の入院中看病に行くことを拒んだことはなく、むしろ幾度もこれを控訴人に勧めたが、元子は控訴人が来ても役に立たないと断つていた。その間、被控訴人は見舞にも行き、葬儀には走り回わつて働き、感謝されこそすれ非難される筋合は全くない。
(三) 被控訴人は、控訴人の実家に生活の場を求めたことはなく、父親の葬儀後控訴人が被控訴人の居住するマンションに戻ろうとしなかつたため止むなく元子宅に同居することとなつたものである。別棟の建築も被控訴人を一人別棟で住まわせる意図によるもので、被控訴人に何の相談もなかつたし、事実控訴人はリカを懐妊した後は母屋で元子と共に生活し、夕食も被控訴人の帰宅前別棟に運び、翌朝被控訴人の出勤後片付けるという状態で、母屋に通ずる別棟の扉には施錠するという有様であつた。
(四) 被控訴人は、リカが泣き続ける時も施錠してあるため母屋に入ることができず、心配の余りドアを叩いて控訴人と元子に注意したことはあつても、「二階に連れて行け」などと言つたことはない。また、リカが肝臓障害を患つたのは「オデキ」の治療のため抗生物質を投与したことによるもので、控訴人に肝臓に効く薬はなく、安静とビタミン剤、栄養補給等でよくなる旨話したことはあつたが、「ヤブ医者の言うことは信用出来ん」などと言つたことはない。
理由
一<証拠>に徴すれば、被控訴人(昭和一九年一一月二七日生)は名古屋大学工学部を卒業して○○○工業株式会社に勤務し、一方、控訴人(同二七年一一月二日生)は学習院短大を卒えたのち父母の許で暮していたものであるところ、同五〇年八月ごろ互に結婚相談所の紹介で知り合つて、交際を経たのち、同五一年三月一五日婚姻の届出を了し、両名の間には同五五年三月二〇日長女リカが出生したこと、が認められる。
二<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
1 被控訴人と控訴人とは婚姻ののち、控訴人の父母が敷金、礼金等を出捐して名古屋市内にマンションを賃借し、一か月金四万円余の賃料を支払つてここに居住していたが、昭和五一年六月六日、控訴人の父民夫が死亡したことから、その葬儀など事後の処理に追われ、かつ、寂寥、悲嘆の日々を送る母元子を助け、これを慰めるために一人娘である控訴人が実家すなわち元子宅に泊り込むようになり、やがて同月二七日ごろには被控訴人も元子宅に移つて、ここに控訴人、被控訴人及び元子の三人が生活を共にするようになつた。そして、夫を失つた元子も被控訴人らの移居に好意を示し、鉄筋三階建の二階を被控訴人、控訴人夫婦の住居に充て、台所、浴室などは共用して、当初は平穏、円満な共同生活を送り、そのころ、被控訴人が新しく乗用車を購入したときには、元子がそのうち金三五万円を用立てたほどであつた。
2 しかしながら、とかく自己中心的で粗野な面を備えた被控訴人と、几帳面で繊細な神経を持つた元子とは、性格の上で互に相容れず、両者の仲は次第に融和を欠くようになり、やがて、元子は被控訴人らとは食事なども別にするようになつた。そして、昭和五二年三月ごろ、元子は子宮筋腫と診断され、同年五月末に手術のため入院が予定されるに至つたので、元子において、入院中の対策として、控訴人には付添看護を依頼するとともに、被控訴人には細心さを欠く同人が独り元子宅に住んでいては火災の恐れがあるとして他所で生活するよう求めたところ、右入院前の五月二五日になつて、被控訴人の出勤している間に、瀬戸市の病院に入院加療中の元子の母(控訴人の祖母)が危篤に陥つた旨の連絡があり、そのため、控訴人が被控訴人にその旨を架電したのち、元子が控訴人を伴つて母の許に駆けつけ、その折、元子宅を施錠し、かつ、前庭に被控訴人の下着類を入れた手提袋を置いておいたため、被控訴人はかような処遇に不満を抱き、当夜帰宅後、そのまま大府市内に住む長兄秋岡一郎宅に身を寄せた。かくして、元子の母が五月二七日に死去し、元子の手術も同女の精神的、肉体的疲労から七月中旬まで延期されるという経過ののち、被控訴人は八月一八日になつてようやく元子宅に戻つた。
3 その後も、被控訴人と元子とは日常の些事につき感情的齟齬、対立を免れなかつたが、昭和五三年一一月三〇日夜、翌一二月一日以降は元子宅前の道路が駐車禁止になることから、被控訴人が控訴人を介して、元子に対し宅地内に乗用車を駐めさせて欲しい旨申し入れたところ、これを断られたため、被控訴人は通勤のために必要な車の置場所がないことを理由に、右三〇日午后一〇時ごろ、再び独り秋岡方に移つてしまつた。
4 元子は、昭和五三年夏ごろから被控訴人、控訴人夫婦のために西隣りに別棟の建築を始め、これが翌五四年初めに完成をみたので、そのころ被控訴人に右別棟に住むよう促した結果、被控訴人もこれに応じて、控訴人とともに同年二月中旬ごろからここに居住を始め、そして、同年五月控訴人は懐妊した。しかし、別棟入居に当つて、元子は被控訴人に一か月金一万八〇〇〇円の賃料を要求し、他方、被控訴人が元子にテレビアンテナ、エアコンのダクト、電話などを別棟に取り付けることの承諾を求めても、建物に穴が開くのは困る等の理由でこれを拒否され、かつは別棟と母屋(元子宅)との間は施錠されていることなどから、被控訴人の不満はますます募るところとなつた。その後、昭和五五年三月、前述のように控訴人は長女を出産したが、自身は産後の腰痛に悩み、長女も病気勝ちであつたことから、日常の生活において、別棟に起居するよりむしろ元子の許で長女と一緒に暮すことが中心となつて、控訴人と被控訴人との間柄は漸次疎遠となつていた。そのうえ、昭和五五年一二月中旬、被控訴人が乗用車を買い換えようとしたとき、さきに同五一年六月に元子の援助を受けて購入した際に車庫証明の必要から元子名義で車の登録をし、また、同女名義の三文判を使用したことを難詰され、結局、被控訴人は元子にあてて、今後は車に関することのみならず、他事すべてについても勝手な振舞いをしない旨の念書を差入れることとなり、さらにこの折、元子から右のように同女名義で登録されていた車の下取り代金七万円を町内の会館建設資金に寄与するよう求められ、そのように取りはかられたことから、被控訴人の憤懣はさらに強固なものとなつた。その数日後、被控訴人は元子から別棟の賃料等を請求されたことを機縁に同女と争いを起こし、結局、翌五六年一月一二日限り元子宅から立ち退くことを約するに至つたが、同日被控訴人が退去しなかつたため、元子は立腹して別棟の電源を切るという手段をとつたので、被控訴人は一月一四日やむなく右別棟を出て三たび秋岡方に赴いた。
5 爾来、控訴人は引続き元子宅において長女と共に生活を営み、被控訴人とは全く別居の状態が継続しており、この間、昭和五六年二月、被控訴人によつて名古屋家庭裁判所に離婚を求める調停の申立がなされて二か月ほどで不調に帰し、同年四月二四日本訴が提起されたが、右調停及び本訴を通じて、被控訴人の離婚意思は極めて強固であり、他方、控訴人は終始一貫離婚意思のない旨を述べている。
以上の事実が認められる。
三前項認定の事実に基づけば、被控訴人と控訴人との婚姻関係は既に全く破綻するに至つているものというべきであり、その起因は、控訴人の母元子が被控訴人と控訴人との生活に介在し、そのため元子と被控訴人との間に生じた不和、軌轢に触発されたものと認められるが、これを深刻化し、被控訴人・控訴人の破局にまで導いた原因の一半は、被控訴人において控訴人の実家を家庭の拠りどころとする以上、出来るだけ元子と協調し、同女との融和に努めるべきはもとより、元子方での生活が意に満たないものであれば、いかに困難を伴うものではあつても理性をもつて積極的に控訴人に働きかけ、夫婦中心の生活を取り戻すよう尽力すべきであつたにもかかわらず、漫然控訴人を非難、嫌悪する態度に終始し、遂には安易に控訴人及び長女の許を離れて独り別居の生活に走り、元子との関係のみならず控訴人との疎隔を離婚という形で清算しようとしたことにあるといえるが、他の一半の原因は、控訴人が一人娘として余りにも母元子に密着し、被控訴人の身辺の世話よりも元子との生活に重点を置いて、これに依存する傾きを強めていつたことは否み難く、もし控訴人において被控訴人との婚姻継続を希望するならば、妻としての自覚を深め、元子方における被控訴人の立場も理解して、進んで被控訴人と行を共にし、同人と相協力して円満な家庭生活が営めるよう積極的に力を注ぐべきであつたにもかかわらず、かような意欲に殆んど欠けていたことにあつたものと認められる。さすれば、被控訴人が上記破綻の主たる有責当事者であるとは認め難い。
被控訴人は、控訴人との不和は常軌を逸した被控訴人の言動に起因する旨主張するけれども、もし被控訴人に控訴人主張のような言動があつたとしても、それは前認定のような元子宅における生活及びこれに伴う確執、葛藤から推せば、右のごとき環境がもたらした不安定な情緒に因る事象と解されないものでもなく、右言動のみを抽出して、もつて、本件婚姻関係の破綻につき、専ら被控訴人に責任があり、あるいはその責任が控訴人よりも大であるとしなければならない事情とみることは相当でない。
四そうすると、被控訴人と控訴人との間においては婚姻関係は既に破綻し、民法七七〇条一項五号所定の婚姻を継続し難い重大な事由があるものというべきであるから、これを理由とする被控訴人の本件離婚請求は正当として認容すべきである。
そして、前認定の事実に鑑みれば、被控訴人と控訴人間の未成年の子である長女リカの親権者は控訴人と定めるのが相当である。よつて、原判決は相当であつて、控訴人の本件控訴、被控訴人の附帯控訴はいずれもその理由がないからこれを棄却し、控訴費用及び附帯控訴費用の負担につき、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(中田四郎 名越昭彦 木原幹郎)